「僕はこれとこれがこういう関係にあると思う」

藤幡
それで思い出しました。ある本を書きはじめたときに、いろいろ調べものをしていて気がついたのですが、書こうと思ったことはもうだいたいネットに書かれているんです(笑)。これから調べようと思っていることもネットに書いてある。つまり、今あらためて本を書く必要はない。それでも書く意味があるのは、すでに知られているはずの事柄同士にリンクを貼ることなのだと思ったのです。「僕はこれとこれがこういう関係にあると思う」と。先ほどの話はまったくそのとおりで、今はとにかくリンク切れだらけの世界。だからある程度経験を積み、伝承することに意味を感じる人間は、リンクを貼り直すということをしなければならないのかもしれません。

細野
そのとおりだね。音楽もテレビもリンク切れが蔓延してるからね、それを食い止めなくちゃならない。 そうそう、今頃になってショックを受けることがある。ロンドンで14、5歳くらいの男の子と女の子3人組がヒルビリーをやっているのを見たんだけど、もう一瞬で僕の友達だと思った(笑)。14、5の子供たちがこれならばまだ未来は捨てたもんじゃない。それから、アメリカではこのあいだショーン・レノンと仕事をすることがあったんだけど、彼も音楽の虫で、ニューヨークでいろんな音楽を探し回っていて、珍しいものがあると僕に教えてくれるの。そのなかに、20歳代の連中で行きすぎたレトロ感覚でアステアの歌をやっているやつがいるわけ。それなんかはもう本当に行き過ぎだよっていうくらいで、生活レヴェルまで大恐慌時代を再現している(笑)。

藤幡
作者を崇拝するのでもノスタルジーに浸るのでもなく、もう一度それがリアルタイムなものになっているんだ。

細野
そのことの意味がなかなかうまく伝えられない。僕は1、2年くらい前に大恐慌時代のファッションに憧れたことがあったんだ。今の気持ちは大恐慌っていうよりホームレスだけどね。そんな感じだから、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936)にも感覚的に憧れるところがあったんだけど、ちょうどその頃に「シリーズ マネー資本主義」という金融危機をテーマにしたNHKスペシャルで、チャップリン自身が作曲して『モダン・タイムス』のエンド・テーマ曲だった「スマイル」っていう曲をアレンジして使いたいと頼まれたので、自分の感覚はリンク切れではないという確信のようなものを得たかな。

藤幡
そうそう、そういうリンク。

細野
今のヨーロッパにある本当に新しい音楽は、どれも宣伝されないから誰も知らない音楽が多いんだけど、僕はそういったものばかり買ってるよ。今はあまり買わなくなったけれど、ここ10年くらいはずっとそうしていた。それらの音楽は自分の部屋で録ったものばかりで、こっちにも空気が染みだしてくるようですごくいい。
対談風景
藤幡
僕も同じです。先ほど話した作品制作の機会でアイルランドに行くたびにCDをたくさん買いました。イギリスには、『Mojo』という音楽雑誌があって、それにコンピレーションCDが付いているんです。そのCDには名もないようなミュージシャンのホームメイドの演奏が入っていて、そのなかのビートルズの曲をカヴァーしたCDとかがすごくいいんですが、そういう音楽は日本にまったく入ってこない。

細野
宣伝されていない良いものはたくさんあるけれど、探すことができないんだよね。だから出会うしかない。

藤幡
さっきもコピーとカヴァーについて触れたけれど、それは結論かもしれないですね。そのビートルズのカヴァーっていうのは、つまりリアルタイムなリサイクルなんですよ。ミュージシャンの考え方に合わせて過去の音楽に乗っている。ポップスもそのような時代にまわってきたのではないでしょうかね。

細野
消費されようと思っていないポップスね。

藤幡
クラシックではいまだに例えばドビュッシーの音楽を繰り返し繰り返し演奏している。そのような状況にポップスもなりつつあるんでしょうね。もちろんクラシックとは少し異なりますが、そうであればやっとポップスも「音楽」になったと言える。皆が自由に弾いて、ほかの人に自由に聴かせるというカルチャーになってきているのかもしれません。歴史というとおおげさなのかもしれないけど、リンクを貼り直していくこと、コピーではなくリサイクルしていくことが未来を開くんでしょう。 自然史的変化を呼んでしまいそうになるほどに憤ることの多い状況ですが、作家としてはそのなかから未来を開いていきたいですね。今日はどうもありがとうございました。