失調してきたものを統合していきたい

藤幡
不思議な危機感と、それに対する細野さんの感覚が渦巻いていますね。こういう落ち着かないとき、次に細野さんが準備されていることは何なのでしょうか?

細野
ずっとソロアルバムを作る準備をしているんです。今はその直前で、新曲を作らなければいけないの。最近ボブ・ディランがすごく気になっていて、彼の新作が出る度に誰かが僕のやっていることに似ていると言う。それで聴いてみると、確かにバンドの編成が共通していたり、カヴァーを多くやっていたりするところにも共通点はある。ある意味では僕も歳とともに伝承音楽者になってきたっていうことなんだ。

藤幡
まったくそうですね。重要なポジションにいると思います。

細野
すでにいいものがたくさんあるから、自分で作る必要がないということもある。

藤幡
昨年、北アイルランドの人たちに頼まれて行なったプロジェクトがありました。音楽の作品にしたかったので、現地の学校の音楽の先生とコラボレーションをして、バグパイプなどの音を録ってまとめたんです。GPSを使ったプロジェクトですごく大変でしたが、いろいろな意味で自分なりにかなりジャンプできたんです。

細野
いろいろヘンなことしてて、いいねえ(笑)。

藤幡
そのときにアイルランドの音楽のことを調べていていたのですが、ボブ・ディランとか僕らが高校生の頃に聴いたフォーク・ソングの多くが、実はアイルランドの音楽を母体としているということを知って涙が出そうになった。イギリスとの長い緊張関係のなかで歌われたアイルランド・ネイティヴな抵抗歌がその源にあり、アイルランド民謡の「ダニー・ボーイ」やアメリカを経由したフォーク・ソングを聴いてきて、ずっと何か心打つものを感じてきたのですが、そのオリジンを知ってショックだったのです。 そのことと細野さんの話を僕なりに接続して解釈すると、フォーク・ソングやロックの影響を受けてきた僕らが、それらの音楽が今の日本人にとって何なのか、日本の音楽との関係性においてそれらの音楽をどう捉えるのか、ということを言わなければならなくなっているということだと思います。音楽を伝承することとバンドでコピーすることとはまるっきり意味が違うわけで。

細野
僕はただカヴァーをやるだけで言葉では何も言っていないけれど、カヴァーをすると反応があるのでこれは面白いなと思っているし、皆があまりにも知らないので、とにかくいろいろな音楽をもっと聴いてほしいということは単純に考えています。だから今回のソロアルバムでも新曲をやってくれと言われて悩んでいるんだよね。何も言われなければ本当はカヴァーをやってしまう。でも、自分のなかで、自分の好きなルーツ・ミュージックと自分の新しい音楽とにどのような接点があるのかを探すこと、そこに必ず葛藤が生まれることが面白いし、要は先ほど話したリズム&ブルースの歴史をめぐることと同じで、頭でロジカルに考えれば自分とは無関係な存在でも、体はすでに大きく吸収している。なんというのかな、それは言ってみれば統合失調症に近い感じで、われわれは必ず引き裂かれた状態にある。そしてそれは自分の国の宿命や運命であって仕方がないことなんだ、ということがつねに表出してくる。

藤幡
音楽をやることによって統合失調症的なギャップが埋まるわけではない、ということもわかっているんですよね。でも、それを取り返す作業として音楽がある。

細野
そうなの、そのとおり。

藤幡
それは音楽だけではなくて、あらゆるデザインにも当てはまるでしょうね。この急速に変化した近・現代の日本をもう一度どのように捉えなおすのか。冒頭におっしゃっていたように、戦争で負けたから伝統が全部吹き飛んでしまったけれど、まだ寿司屋も蕎麦屋もあるし、かろうじて文化もある。しかしながら、その文化とポップスとの関係についてはまだ折り合いがついていない。

細野
折り合いがついていないだけで、まだ文化は残っているし、邦楽だって地域に残っている。その人たちと時々は何かができるなと思うこともあって、確かに折り合いをつけなければならないことなんだよね。やらなきゃいけないといって音楽はできないから、やりたいことは優先するけれど(笑)。まあ、そこが音楽の特徴であって、音楽では楽しい方向にしか行けない。でもその折り合いを探す方向は楽しそうだよ。
藤幡
僕も言葉が見つからなくて、異種混合とかハイブリダイゼーション(hybridization)とか言ってきたのですが、ずっと何か違う気がしているところです。

細野
そうね、それはもうずっとやってきたことだから、それとはまた違う方向なんだろうね。失調してきたものを統合していきたい。
対談風景

最近特に多数派が増えたなあ

藤幡
これはYMOのときとは明らかに違う状況だと思います。あそこには熱狂がありましたが、今必要なのは熱狂ではないでしょう。「これは凄い」というものが、地味に見えてくればいいなと思います。これまでの歴史はこういうときにテクノロジー的な解答も出しえたのかもしれませんが、あらためて、細野さんにとってテクノロジーとはどのようなものでしょうか?

細野
僕はテクノロジーには疎いんだよ(笑)。

藤幡
細野さんはそのように言うけれど、あれは使える、これはこう使うべきだと見抜く力はすごく強いですよ。音楽を作っていくうえでの個々のテクノロジーではなくて、細野さんに会っていなくても僕がCDを手に取ることができるというディストリビューションのメディアも、ある意味でテクノロジーではあるわけです。つまり先ほど話したような静かな変化の静かなつながりは潜在的にもずっと続いている。そのとき細野さんは、どのメディアに自分のメッセージを流すのかということを計算していると僕は思いますが。

細野
計算はしていないんだよ。仕様がないものでしょ(笑)。なにかディストリビューションに近いことがあるとすれば、僕はマニアではないから、アナログレコードのLP盤は自分にとって面倒くさい世界なんだけど、CDのパッケージは好きだからそれを捨てることはできないし、捨てるわけにはいかない。今の自分にとって一番早い手段はCDになるね。

藤幡
僕はiTunes Storeで音楽を買ったりしませんが、すごく悲しいなと思うのは、CDまではまだあった「アルバム」という概念がなくなってしまいそうなことです。

細野
そのような問題は僕にとって単なる多数派問題なわけです。つまり、「アルバム」であるかどうかなんてことはどうでもよいという、そのような人があまりにも増えすぎているだけ。僕はアルバムを単位に作るので、僕の音楽を一曲ずつ買うお客さんはたぶんいないのね。でも最近の流行りものが好きな人は一曲単位でしか聴きたくないだろうし、ほかの曲を聴く気もないだろう。でもそれはそれでお互いにメリットが棲み分けられればよいわけで、僕が興味があるのは、これからは少数になってもいかにやっていけるかということだけなんだ。

藤幡
「創造的」というと恰好よく聞こえるけど、人がやっていないことをするのはマイノリティであって、絶対に多数派ではないですから。

細野
最近特に多数派が増えたなあと感じる。最後には僕の音楽に興味をもってくれる人なんか1人くらいになってしまうのではないかと。

藤幡
どこかで細野さんがしゃべっていたような気がしますが、せっかく作ったのに誰もほめてくれない(笑)という、疎外感みたいなものはありますよね。
対談風景
細野
それはあるね。僕はコンビニに行くのは嫌ではないんだけど、僕が良いと思う商品はほとんどの場合売れなくて、ラインナップから消えてしまうの。欲しいけれどももうないのだから、それ以上追求することができない。ないからといってメーカーに電話したりもしない(笑)。これはすごく今の日本を象徴していて、だから今は多数派でできているコンビニに住んでいるような感覚がある。小売店も消えていって、洋服屋も安くてデカイ店ばっかりが増えていくけど、良いものを売っていれば、あるいは味が良ければ人は来るからそれでいいと考えている。0ではなくて、1でも2でも100でもつないでいけば、将来につながるからいいんじゃないかと思う。僕の商品も消えていく立場のほうだからね、疎外感はそこまできているよ。

藤幡
相当ですね。

細野
相当でしょ(笑)。でも一方で、六本木の東京ミッドタウンで、1年間店内のBGMを選曲する仕事をやっていますが、そこで選んだ曲に簡単な解説をつけて、webにリストを載せているの。で、載せるとすぐにワイドショーとかテレビのBGMで使われる(笑)。

藤幡
いたたたた……。想像できますね。。

細野
でもね、それは自分の作品ではないし、聴いてほしくてかけているわけだからそれはそれでいいかと思うんだ。このときに何を感じるかというと、どの時代もそうだと思いますが、意識されないところで拡がっていくものがあるということね。僕もそういった音楽を聴いて育ってきているから、半分はそれを意識してほかの人に聴いてもらいたいと思って仕事をしているわけ。例えばスリー・サンズの「Parade of the Wooden Soldiers」とか、一般的には認識されていないミュージシャンだけど、昔から料理番組のテーマになったりしていて、誰もが知っている曲があったでしょ。僕自身子供の頃に聞いていたし、そういう音楽を再認識して新鮮な驚きがあった。今はまたそういう音楽も伝承していこうと思っていて。やれ儲かった、やれ売れたのではない拡がり方というのがあるわけです。