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ウィスット・ポンニミット

廣瀬純 / HIROSE Jun
龍谷大学経営学部准教授。映画雑誌Vertigo編集委員(Les Nouvelles Éditions Lignes, Paris)。著書に『蜂起とともに愛がはじまる』(河出書房新社)、『シネキャピタル』(洛北出版)、『闘争の最小回路』(人文書院)、『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)など。

Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 山中貞雄監督『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)における、縁側に並ぶ安吉の背中と壷とを捉えた固定ロング・ショット。左膳から父の死を告げられ、縁側にちょっこりと座り、しょぼくれている孤児・安吉の黒く小さい無言の背中のその左隣に、黒く小さい無言の壺がちょっこりと並べ置かれている。とともに縁側のやわらかな陽光のなかで、こけ猿の壺と安吉の背中とが静かに反復し合う。そしてその共鳴を、前景右側に集め置かれた一群の小さな調度品、画面奥にぴんと干された羽織、そして、前景左側に広がる畳の静寂が、つまり、映画には画面外で待機すべきときがあることを知るお藤と左膳の物質的知性が、それぞれの持続を生きつつ、優しく見守っている。

Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. ジャン=リュック・ゴダールの言葉「演出とは慎みをもって事物の側に立つことである」に、ゴダール当人はもとより、映画史上のどの作家よりも忠実であることのできた山中は、すべてを背中から捉えること、そして、それをあくまでも慎みをもって行うことにこそ、映画の本質があることを知っていた。

Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. ジャン=ダニエル・ポレが監督しクロード・メルキが主演したL’Amour c’est gai, l’amour c’est triste(1968)の山中によるリメイク。フランシス・ポンジュのテクストをもとにポレが撮ったDieu sait quoi (1992-1993)はすでに『丹下左膳余話 百萬両の壺』のリメイクだった。

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