写真における声の不在は、より深い音の次元を取り戻すための感覚削除としてあるのかもしれない……。写真、映像、空間において音の不在が誘引する「音響的皮膚」という場所の可能性について、臨床哲学、倫理学の鷲田清一氏に執筆いただきました。

鷲田清一

鷲田清一プロフィール
1949年生。大阪大学総長、臨床哲学、倫理学。
著書=『モードの迷宮』(中央公論社、1989/筑摩書房、1996)、『人称と行為』(昭和堂、1995)、『メルロ=ポンティ──可逆性』(講談社、1997)、『悲鳴をあげる身体』(PHP研究所、1998)、『「聴く」ことの力──臨床哲学試論』(TBSブリタニカ、1999)、『想像のレッスン』(NTT出版、2005)、『「待つ」ということ』(角川学芸出版、2006)、『思考のエシックス──反・方法主義論』(ナカニシヤ出版、2009)など。共著=『まなざしの記憶──だれかの傍らで 』(写真・植田正治、TBSブリタニカ、2000)など。