■暗闇からの解放、見ることのシステム

宇川
ここでまた「映画と映像」の問題に戻ろうと思います。もともと映画は、エジソンが1891年に発明したキネトスコープという映画を観る装置が誕生のもとになっていますが、この段階では個人で観るものでした。その後のシネマトグラフの発明によって、暗闇のなかで壁に映画を投影して鑑賞するという映写システム自体を、不特定多数の人たちが共有するようになりました。次にわれわれはテレビというテクノロジーを得るわけですが、このときに生まれた「お茶の間」という劇場が、それまでの表現手法としての映画のシステムを崩壊させてしまうことになるのではないかという恐れを、映画監督たちに抱かせただろうと思うんですね。

松本
そうですね。

宇川
先生も体験されていると思いますが、その時代には小津安二郎監督の映画内で「テレビを見たら馬鹿になる」という発言もありましたよね。

松本
映画の人は、テレビを軽蔑し、同時に恐れていたというところだと思います。

宇川
当時「最終的にはニュースとスポーツしか残らないだろう」と言われたテレビですが、そこにヴァラエティを加えると実際にそうなっていますよね。

松本
個々の番組内容の問題と、生活のなかでテレビというシステムが人々に働きかける意味とを一緒にはできないですよね。システムの問題が出てくること自体、映画が一時代もう古いものになってきていることを示していると言えるでしょう。ですから、ネットワークも含め、個々の受像機などの問題ではなく、「システム」が重要な時代になったわけです。

宇川
よくわかります。ただ、映画という不特定多数の人と暗闇で映像を共有する装置しかなかった状況に対して、いわば初めて闇から解放され、日のもとで映像を配信できるシステムとしてテレビが到来したわけです。僕はここにこそメルクマールがあったのではないかと思うのです。

松本
装置の類似性という点でいうと、キネトスコープは「覗き」なので、一人ひとりが箱を覗くわけです。興行に結びつけるにはそれでは限界があるということで、興行的な形態を持つシネマトグラフがいまの映画の直接的な原型になったわけです。ところがテレビが生まれると、それぞれが各家庭で見るということが起こりました。「単独で見る」という部分だけでいえば、キネトスコープに戻ることでもあったのです。

宇川
まさに現代のラップトップやモバイルがキネトスコープですよね。

松本
ええ。パソコンなどもそうですが、まったくプライヴェートな視野のなかで見るわけです。ところが、僕が言う「システム」のレヴェルで考えると、ある意味ではたくさんの人が同じ映画を一緒に見るという異様さが、かたちを変えて、地球的に同じ映像を一緒に見るという異様さに取って代わられているわけです。これは、何かが目の前にあり、目があるから見える、という認識のレヴェルとはまったく違う、きわめて文化的なものの見方だと思うのです。これは考えてみるとすごくおもしろくも不思議な、人間の長い歴史のなかでも最近になって突如現われた現象なのです。
宇川
そうですよね。大島渚さんは『体験的戦後映像論』(1975)のなかで、テレビが出てきた50年代について、「テレビジョンは映像を映画館の暗い空間から解放したのである。映像が 夢みる時代から覚醒の時代に入ったのである」と書かれています。僕はまさにその通りだと思ったのです。キネトスコープ以前の話になればまた別だと思いますが、テレビの到来までは、映像は闇のなかで共有することしかできなかったわけです。そして大島さんは、その後たくさんのテレビ番組に出演なさいますよね(笑)。そのリアクションがすごくおもしろい。一度は共有されていた映像が、覚醒し、街頭テレビから小型テレビを通じて個人のもとに戻ってきたという歴史があると思うのです。さらにはインターネットに接続する個人が国境を超えて映像を共有しているという現実を考えると、逆説的に映画という不特定多数の人が暗闇の現場を共有する感覚自体が奇妙なものに感じられてしまうということにもなりうると思うのです。

松本
そうですね。ただ、それぞれに特色があり、「次はこれ、その次はこれ」というようないわゆる技術の進歩主義史観とアートの表現レヴェルは必ずしも同期しないところがあるわけです。暗闇の問題や、スクリーンの大きさの問題というのは、情報としては差がないかもしれませんが、映画・映像体験という点ではずいぶんと違いがあるわけです。どちらが良いか悪いかではなく、あるのは違いだということが重要だと思います。小さなスクリーンやパソコンのモニターで観ることと比較するとはっきりしますが、映画は身体的に観る側面がとても強いわけです。例えば、車がこちらに突っ込んでくると思わず体を捻って避けようとしてしまうでしょうし、ヤクザが指に包丁を突き刺そうとすると手を強ばらせてしまうなど、像と自分の身体との間にある関係が生まれて、イマジネーションや感性の芽が膨らんでくるわけです。こうした身体的感応性は、小さいスクリーンや、ましてテレビ、パソコンなど明るいところで見る場合には失われているわけです。

宇川
身体的な体験としてではなく、ただ情報と向き合っているだけなのでしょうか?

松本
ですから、身体的な快楽は結構失われているのです。もちろん、別の新たなメディアが生まれてくるということは当然あるのですが、それはどちらからどちらに向かっていくというような直線的な進歩の序列をつくるのではなく、とりあえずは多様化した並存状態になると思います。

宇川
映像の身体的体験と映像の個人化との話をすると、そこにはいつの時代もやはりポルノグラフィが大きく絡んでいると思うのです。たとえば8mmフィルムが家電化した時代には、電気屋さんがレジ裏に主である旦那を呼び出し、ブルーフィルムをセットにして売っていました。VHSがここまで浸透したのにも、やはりレンタルビデオ屋でのアダルトビデオの規格と、その功績が一役買った。そしていま、インターネット時代になっても課金が成立している映像体験はアダルトしかないわけです。いわばポルノグラフィによる個人の映像体験を通じてテクノロジーを発展させている、もしくは浸透させているという現実があります。その進化系がさきほどのライブストリーミングによるアダルトチャットやオンラインデートの現場なのです。要するに個人の映像体験には、秘めごととしてのダイレクトな身体的快楽があるということですよね。

松本
そうですね。

宇川
時間もなくなってきました。今日の議論はまさにオルタナティブヴな映像の歴史を辿りながらも、体験と装置という問題や情報と身体という部分にも微かに切り込んだ1時間半のトークでした。本当はまだ5時間くらい話せるテーマだったと思います。
この「恵比寿映像祭」という10日間に渡る展覧会のプログラムには、科学映画をまとめたプログラムやフランク・ザッパのPVの粘土アニメをつくった作家であるブルース・ビクフォードと黒坂圭太先生の奇才対決、さらに現代の実験映像や、先ほど大島渚さんのお話も出てきましたが、大島さんの《大東亜戦争》というテレビで一度だけ公開され、お蔵入りした奇跡的な映像も、この後16時から公開されることになっています。今日の話、着地点がどこにあったのか僕もまだ客観視できていませんが、いかがだったでしょうか。輪郭しか見えなかったかもしれませんが、右往左往しながらも映像というものの本質が輪郭だけでもかたちになったとすれば嬉しく思います。ただ、「映像」というカテゴリーについて、こんなに語ったことはないと思いますし、何をもって映像なのかということは今後もしっかり考えたいですね。やっぱりあと5時間は必要です(笑)。


岡村恵子(恵比寿映像祭ディレクター)
目に見える映像をテーマにしながら、じつはシステムの話や知覚、認識の違いの話であったり、歴史の話から個人の体験の話まで、そこには幅広い内容が含まれていると感じながら伺いました。美術や芸術や文化という分野では、本当はそういった核心そして外延を意識的に語らなければならないものの、その機会が減っているように感じます。そういう状況にあっても、「映像」が切り口であればもう少し入り口を広くしてより多くの共有ができるのではないか、という思いもありました。今日は、その入り口となるいくつかのキーワードをみなさんにも共有していただけたかと思います。
「恵比寿映像祭」は10日間で多角的な内容を展開しておりますが、同時にウェブサイトの位置づけも重用視しています。10日間という限定的な映像祭に足を運んでいただける方は本当に限られてくると思います。では残りの355日間で「映像」に関する問いをどのように共有し、持続するかということを考えたときに、インターネットのシステムを使って、共有するあり方について模索したいと思っています。その試みとして「 特別寄稿」というかたちで松本先生に先日取材をさせていただき、「映像の遠近、映像のオルタナティヴ」と題してHPにアップいたしました。さらに、今日の対談の模様などもきちんとアップしながら、継続的にこの映像祭を動かしていけるよう、いろいろなチャンネルを用意しておりますので、今後ともご注目いただけたら幸いです。今日は足をお運びいただき、本当にありがとうございました。

[了]