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阪本裕文

阪本裕文 / SAKAMOTO Hirofumi
1974年生。実験映画/ビデオアート研究制作。名古屋市立大学大学院芸術工学研究科助教。作品=《不在の距離》(2000)、《Still image with 240 stripes》(2004)、《ケルヒ(水野みか子作品)のための映像》(2004)など。共著=『The World of Media Art 1960-2007 Experimental Film & Video /メディアアートの世界 実験映像1960−2007』(国書刊行会、2008)。展覧会企画・監修=「Retrospective Exhibition of the Early Video Art/初期ビデオアート再考」(名古屋市民ギャラリー矢田、2006)、および同展カタログを共著。

Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 個別の作家・作品ではなく、映像のある時点における状態のようなものを挙げたいと思い、以下にサンプルを3つ挙げる。
・クリス・マルケル《ラ・ジュテ》における、横たわる女の眼が開く箇所
・マイケル・スノウ《波長》における、壁に貼られた水面の写真がフレーム全体に到達する箇所
・ギー・ドゥボール《サドのための絶叫》における、真っ白な画面と音声が重ねられる箇所

Q2.  忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. おそらく私は断片的なイメージ、そして音と言葉が、ある関係のなかで統合され、観る者の意識の中で立ち上がる、その揺らめく状態に引きつけられている。この状態においては断片が諸関係を露にしたまま曝け出されている。これは私が映画・映像の中でも、特に構造映画や拡張映画、初期ビデオアートやその後のメディアアート、またはレトリスム映画や前衛的な記録映画に関心を持っていることの理由である。

Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. 私は近頃、映画や映像が束ねる断片の諸関係を、カテゴリーとしての「芸術」内部の問題にとどまらず、それを包括する文化的社会空間にまで拡大して把握することが出来ないかと考えている。しかし一方で私はカテゴリーの自律性を破棄すべきではない、安直に政治化してはならないとも考えている。政治性やテクノロジーの発展が、どのようにカテゴリーとしての「芸術」と関係を切り結ぶのかは、未だ明確に見えない。

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