人は夢を見る。僕は寝ている間に見るその夢の内容よりも、そこに広がる空間の在り方に興味を持った。それは現実の世界で体験している空間とはまるで違う性質のものである。視点はどこにでも持っていくことができ、ある時は他人の視点で眺めることもできる。小さい部屋だと思っていると、次の瞬間には大きく広がり、ドアを開けてもないのに隣の部屋に行くこともできる。時間の流れも緩急があり、止まってしまうこともある。視点は一つだけでなく、まるでパソコン画面のようにいくつもウィンドウが並び、複数の視点を獲得できるときもある。それはまさに自由であることのように見える。しかし、不思議と自分の意志で行動を選択することはできなかった。まるで空間というものがどういう性質をしているのかということを理解できるように何ものかが説明しているようにも思えた。そこで僕は夢絵日記を付け始めた。しかし、目覚めて現実の世界に戻ってきて、さて夢世界の空間を描こうとすると不思議と一番重要な空間が変容するという事実を描くことができない。いつもすんでのところで、大事なその部分がするりと抜け落ちてしまう。そして、僕はまたいつもの変動しない固定された空間で日常生活を始める。建築家を目指していた僕は実物の建築物よりも、なぜかいつもその抜け落ちてしまう変容する空間に興味を集中させるようになっていった。

鈴木さんの家で見た夢
そんなある日である。僕は路上生活者たちの家のフィールドワークをしていた。そこで一軒の家と出会う。隅田川沿いに建つその家には鈴木さんという60歳の男性が住んでいた。部屋に入り、お酒を飲みながら話をきかせてもらうことにした。横ではラジカセから拾ってきた演歌の音楽が鳴り響いている。それは日常的にテレビ番組などで聞く演歌とは明らかに違うまるで異国の音楽のような気がした。ほろ酔いになりながらゴロンと横になり、鈴木さんの家を体感しているうちに、ふとあの夢の空間のことが思い出されたのである。

鈴木さんの家で見た夢
彼の家は三畳間ほどの大きさである。しかも、天井高は1m50cmで当然ながら立って歩くことができない。僕が当時住んでいたのは高円寺の四畳半のボロアパート。僕の家よりも確実に狭いはず。しかし、僕にはそこが狭いとは全く感じられなかった。むしろ広かった。そして、時間の流れも随分遅く感じられた。実際には二時間が経っていたのだが、彼がどのような方法で自分の家を建てたかを、事細かに話してくれたその内容の豊潤さに惹かれ集中していた僕には半日経っているような気さえしていた。鈴木さんは自分の家を自らの手で全ての細部に至るところまで作っていた。僕たちは自分の家の床下の具合や壁の裏側の様子などは想像すらできない。しかし、鈴木さんは家の全てを明瞭に把握していた。彼は家を、空間を区切るような箱として建てるのではなく、自分の体という点から少しずつ伸ばしていくことで空間を形成していたのである。それは僕が夢見ていた建築の在り方であった。彼は毎朝、生業であるアルミ缶拾いの仕事に自転車で出掛けるのだが、アルミ缶を拾う時に同時に家を手入れするための廃材なども探しているという。今、家のどの部分が弱くなっているのかを把握し、それを念頭におきながらどこにあるかも分からない材料を直感に従って探しているのである。それはまさに僕が夢で見ていた、複数のウィンドウを持った視点であった。つまり、僕は鈴木さんの家から、彼の技術についての話から、まさにあの夢で見ていたいつも抜け落ちてしまう変容する空間のことを感じたのである。夢の中で体験していたあの自動的な視点の移動、変動は、まさに現実世界の空間が持っている性質を現していたのだ。夢は常に移り変わる訳の分からないイメージの連続なんかでは決してない。夢は僕たちが日頃見落として、感じ落としてしまっている空間の持つ多層性を補うような役目をしているのではないか。夢で感じる空間は、実は僕たちが常に無数の視点を持ちながら空間を感じているということを伝えていたのであると僕は感じた。そして、そのような空間を知覚するということはまさに僕がいつか獲得したいと願っていたことでもあった。つまり、見ていた夢は僕が幼い頃から抱いていた夢であったのだ。

実は毎日眠っている間、僕は夢を叶えていたのである。

坂口恭平