映画は暗闇で生まれる。暗闇こそ、映画の恵みを享受するのに欠かせない物質的条件である。演劇には白昼の野外劇もありうる。でも、それは映画にとっては意味がないし、そもそも不可能だ(ヴォルフガング・シヴェルブシュ『闇をひらく光――19世紀における照明の歴史』法政大学出版局)。言わずもがなのことだろうか。歴史の大きなうねりのなかではこんなこともあったのだ。かつて日本の民主化を推進するために、占領軍は各種の教育用短篇映画のプリントと米軍兵士の慰問用だった中古の16ミリ発声映写機を日本全国の自治体に貸与した。しかし、敗戦まもない日本には物資が乏しく、暗幕のない現場も少なくなかった。暗闇を作れないから日中は映画を観ることができない。そこで新聞紙に墨を塗って暗幕の代用にすることも試みられた。占領軍は光を強制したが暗闇は提供してくれなかったのである。それは近代以降の権力の通例だ、監禁においてさえも。

暗闇は、大きな光に照らされたこの世界の一隅に別の小さな光を灯すために必要なのだ。光のなかの闇のなかの光を。ヴォルフガング・シヴェルブシュはこの光と闇の関係について、とても示唆に富んだ2つの隠喩を用いている。映画にとって暗闇は水が船にとってそうであるように欠かすことができない。暗闇のなかで初めて人工の光は力を発揮し、生命となる(前掲書)。水と生命というこれらの比喩を結合すれば、技術革新によって映像が経験した光と闇の根本的な転倒を寓話的に語れるかもしれない。映画館の暗闇は映写機から投射される光に生命を与える水のような環境だ。ところがテレビ以後のさまざまな映像装置は暗闇を必要としなくなった。つとにマーシャル・マクルーハンが強調したように、それ自体が光源だから。あたかも、生物が進化するにつれて生殖に必要な水を個体の環境からそれ自身の内部へと、種子や卵から、さらに母胎へと取り込んできたのにも似て、暗闇は装置の内部に移転された。まさにブラック・ボックスとしての装置、さらにそこからネットワークの暗闇へ……。

このような環境としての暗闇の消失は人間と映像との関係を本質的に転換させる。一方で、映画館の暗闇は観る者のアイデンティティを剥奪してきた。それは、ジル・ドゥルーズが文学について「第三の人称」と呼んだものに比すべき効果を持っているように思われる。「文学は、われわれから〈私〉と言う能力を奪い取るような第三の人称(ブランショの言う「中性的なるもの」)がわれわれのうちに生まれるとき、はじめて始まる」(『批評と臨床』河出文庫)。暗闇のなかで映画観客が匿名性を享受すると言われることもあるが、暗闇のなかの光の効果として非人間的な機械による映像に身を委ねる観客は、単なる匿名的存在となるのではなく、むしろ「〈私〉と言う能力」を奪われることで、ドゥルーズが言うところの「限定されざるものの力」を獲得するのだ。 しかし他方で、暗闇を必要としない画面に向き合う者は「〈私〉と言う能力」を保持する。あるいはそれに固執する。インターネットの匿名性もしばしば取り沙汰されるけれど、キーボードやタッチパネルを操作しながらディスプレイを視る主体の自己意識や存在のあり方が映画観客のそれとまったく異なるのは明らかだ。この点で象徴的な例が、最近、映画館で上映されているマナーCM「映画館のホタルはとっても迷惑」である。このCMは、映画館の暗闇のあちこちで点滅する携帯端末のディスプレイの光が映画鑑賞を妨げることに注意を促している。このホタルたちは、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの美しいエッセー『蛍の残存』(Survivance des lucioles, Les Éditions de Minuit)で取り上げられている小さな光たちとは異なり、破局の時代にあって何かの希望を託せるようなイメージではない。映画館の暗闇で「〈私〉と言う能力」を奪われることに抗して、「私は/私の/私に…」と言いつづけ「あなたは/あなたの/あなたに…」と呼びかけられることを欲するホタルたちであるだろう。「映画館のホタルはとっても迷惑」のCMが映し出す光景は、さながら映像の光と闇をめぐる局地的な闘争のようにさえ見える。

映画館の暗闇がしばしば否定的に語られてきたのも事実である。観客が白昼夢にふけることを許す暗闇、すなわち現実逃避の場。あるいは、映画装置の否定的な隠喩として「プラトンの洞窟」が引き合いに出されることも少なくない。だが、『国家』第7巻の有名な一節が映像に関連して言及されるとき、たいていそれは、通俗化された「プラトニズムの転倒」とでも呼びたくなるような改変されたヴァージョンである。このヴァージョンでは、洞窟の内部で壁に向って縛られた人々が見ることを強いられる影絵はメディアが作り出す虚偽のイメージであり、それに対して洞窟の外部は直接的な感覚を回復する世界として語られる。映画《マトリックス》がその1つのヴァリエーションであることは言うまでもない。しかし、プラトンによれば、洞窟の内部こそが感覚の世界であり、洞窟の外の光に満ちた世界は叡智界である。見る者と見られる対象との関係を可能にするのが光であるように、認識する者と認識される対象との関係を可能にするのが善のイデアだというのが寓話の要点のはずだ。プラトンの趣旨に即して映画館を洞窟に喩えるなら、映画館こそ他ならぬフィジカルな感覚の世界だということになり、映画館の外は、メディアやイメージの欺瞞から解放された直接的感覚の世界であるどころか、反対に、メタフィジカルな世界ということになってしまう。

「プラトンの洞窟」の比喩はもう少し真面目に受け取ることができる。つまり映画館は、それ自体はフィジカルでありながら、そのフィジカルなものから離脱するのではないけれど、それを微細にずらすような出来事が生起する場ではないか。その出来事とはまさに暗闇を切り裂く光の投射である。この光は独特の形をしている。映写機を頂点とする錐体、とても細長い四角錘だ。この光の塔を不可視のピラミッドに喩えることもできるかもしれない。そのなかには死者たちのそれを含むおびただしい潜在的な像が埋葬されているのだから。それらの潜在的な像が顕在化する(死者たちが甦る)のは、映写幕が光を遮ることで生じる断面、すなわち錐体の底面としての〈スクリーン〉においてである。かつて映画館が今よりもずっと暗く、観客たちが誰はばかることなく煙草をくゆらせていた時代には、不定形の煙の映写幕によってこの四角錘はしばしば目に見えるものとなった。このような光のピラミッドは、画面上のイメージを微細な粒子として立ち昇らせる、いや、燃え上がらせる。このことは今でもプリント上映の観客であれば多かれ少なかれいつも体験していることだ。初期リュミエール映画の観客たちが、画面上の人物のアクションよりも、打ち寄せる波、舞い上がる土埃、立ち上る煙や湯気、飛び散る雪、風にそよぐ木の葉などの動きに目を奪われたという周知の事実も、それらが光に近似したもの、まさに波や粒子として不可視の錐体を逆流して満たすのに適した物質的イメージであることによるだろう。映画の海はスクリーンで燃え上がっているのだ。そして、暗闇のおかげで「限定されざるものの力」を獲得した観客は、それらのイメージとともに微細な粒子となって光のなかでたゆたい、ときに人を窒息させる物質の暴虐に圧倒されたままでいることはなく、暗闇のそこここに空隙を開くことができるだろう。それは肉体からの魂の離脱ではないにしても何らかの自由の獲得と呼べるものであるにちがいない。この文脈でもう一度、シヴェルブシュから引用する。「光による映像」は「暗闇があるからこそ可能な、暗闇からの救済として体験されるのである」(前掲『闇をひらく光』)。

1973年、映画史家のベルナール・エイゼンシッツは、パリのシネマテークでニコラス・レイの《ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン》を観た。ハリウッドで撮れなくなって久しい傑出した映画作家が未経験の大学生たちと共に苦闘して撮ったフィルムの断片。その映写の仕方が独特だった。16ミリ、35ミリ、スーパー8ミリという異なったフォーマットのプリントが同時に複数の映写機にかけられたのだ。マルチ・スクリーン上のそれらの映像は「花火」のようで「アンダーグラウンド的」だったとエイゼンシッツは書いている(『ニコラス・レイ ある反逆者の肖像』キネマ旬報社)。その6年後にエイゼンシッツがニューヨークのレイのもとで観たフィルムも、さらにレイの生誕100年にあたる2011年に、ヴェネツィア、ニューヨーク、そして東京などの各地で上映されたデジタル復元版も、ビデオ・シンセサイザーによるものも加えて複数の映像が画面のなかに並列的に映し出されるのだが、それらは1本のフィルムに統合されて1台の映写機で上映されるという点では通常の映画となった。だが、復元版の単一の光の錐体の底面に浮かび上がる複数のイメージは、それらを底面とする複数の大小の錐体を遡行的に想像させるべく「炸裂」したのではなかったか。「政治の季節」が去った後でまさに「私」を探し求める若者たちを映し、彼らの「私探し」を語りながら、同時に、彼らと映画そのものから「〈私〉と言う能力」を奪ってしまう錯乱の光として、複数の映像の間の何も映っていない余白に潜在的な映像を予感させる光として、そして今、それら自身を存立させるための暗闇をその周囲に満たしてゆく逆回しの映像のような光として。