INDEX
池内恵

池内恵 / IKEUCHI Satoshi
1973年東京生まれ。1996年東京大学文学部イスラム学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程、アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授。専攻はイスラーム政治思想史、中東地域研究。ケンブリッジ大学客員研究員、ウッドロー・ウィルソン国際学術センター客員研究員、アレクサンドリア大学客員教授等を歴任。著書は『現代アラブの社会思想──終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、第2回大佛次郎論壇賞)、『アラブ政治の今を読む』(中央公論新社)、『書物の運命』(文藝春秋、第5回毎日書評賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、第31回サントリー学芸賞・2009年度思想歴史部門)、『中東 危機の震源を読む』(新潮社)。訳書にブルース・ローレンス著『コーラン』(ポプラ社)がある。

Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 2001年9月11日、日本時間では夜10時からの、NHKニュースの映像。ニューヨークから生中継される中、世界貿易センターに突撃する二機目が映し出された。

Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. 9・11事件は、日本の近代や戦後という時代に通用してきた「思想」の常套句が、無意味であることを思い知らせた瞬間だった。
「根源的に」「ラディカルに」、セカイを考え直せ、と深刻そうに、真剣そうに語ることが、思想のように思われてきました。特に、第二次世界大戦後の日本ではずっと。考えてみれば良い時代でした。9・11事件の計画・実行犯というのは、既存の世界秩序を「根底から」否定し、「ラディカルに」行動した人たちです。彼らは確かに「オルターナティブ」な世界観を持っていたし、それを支持する多数の人々を背後に抱えていた。それでは彼らの思想や行動に「共感」すれば、良いのでしょうか。そう言いたげな人さえもいました。日本には結構多かった。でもやはり、違いますね。テロによって、世界はマシな方向に行きましたか? 世界はもっと複雑でしたね。
日本はすぐに変わる国ではないけれども、9・11事件以後、上滑りのお約束の言葉の影響力は格段に落ちたと思う。一時的には、言葉の力そのものが落ちたように感じられるかもしれないけれども、悲観することはない。長い目で見て、通りの良い決まり文句を超えた、一度世界の隅々に行って帰ってきて初めて発するような言葉が生まれるはずです。

Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. 直接の答えではないのですが、印象に残っていることを記します。ポール・オニールという人が2001年9月当時、米国ブッシュ政権の財務長官でした。9・11事件の日、オニールは偶然、会議で東京に来ており、帝国ホテルの部屋のテレビで、この映像を目撃しました。米政府高官たちは急遽、軍用輸送機で移送されて帰国し、対策に追われるのですが、オニールが凍えた貨物室で揺られながら記したメモには、数多くの実際的で行政的な対処策に並び、「広島および長崎との比較」についての考察が含まれていました(ロン・サスキンド『忠誠の代償』日本経済新聞社)。
アメリカでは、9・11事件を「パール・ハーバー」になぞらえる議論がメディア上では圧倒的でした。しかしその中で、ブッシュ政権の高官が、専門的で現実的な対処策を必死に考えながら、同時に、目に焼きつく、燃え盛るビルから手をつないで飛び降りる男女の姿を、広島と長崎への原爆の投下による一般市民の被った惨禍と、共通する事象として受け止めていた。彼は反米か反イスラームか、反ブッシュか親ブッシュかといった対立の問題ではなく、人類の普遍的な愚行と悲劇に思いを馳せていました。この考察は、超大国の高位の行政官として実際的な判断を行うことと、両立したのです。
思想というのは、気の利いた概念を繰り出して一時のメディアでもてはやされることではありません。器用に有利な「立ち位置」(いやな言葉です)を取ることを競うものでもありません。それぞれの任務や権限や能力を最大限に発揮しながら、極限状態の中で、真実と善を求めようとする意思と能力が、思想なのではないかと思います。

INDEX