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木田元

木田元 / KIDA Gen
1928年生。現象学、哲学者。中央大学名誉教授。著書=『現象学』(岩波書店、1970)、『ハイデガー』(岩波書店、1983)、『メルロ=ポンティの思想』(岩波書店、1984)、『現代の哲学』(講談社、1991)、『わたしの哲学入門』(新書館、1998)、『哲学と反哲学』(岩波書店、1990)、『哲学の余白』(新書館、2000)、『マッハとニーチェ──世紀転換期思想史』(新書館、2002)、『なにもかも小林秀雄に教わった』(文藝春秋、2008)など。訳書=G・ジンメル『カント──カントの物理的単子論』(白水社、1976)、カッシーラー『神話的思考』(岩波書店、1991)など。共著=E・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中央公論社、1974)など。

Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 私の忘れられない映像といえば、1945年8月6日午前8時15分30秒に広島に投下された原爆を、15キロ南の江田島から目撃したときのその光景だ。
その年の4月に16歳でこの島にあった海軍兵学校に入学した。8月6日は早朝からボートで広島がわの海岸にいき、水泳の訓練を受けることになっていた。現場に到着し、服を脱いで仕度をし、さあ海に入ろうとしたそのとき、目の眩むような閃光が走り、あたり一面紫色に染まった。なにしろ人類最初の経験、何が起ったのか見当もつかない。自分の眼か頭がどうかしたのだと思っていたら、2、30秒遅れてすごい爆風が吹きつけた。
広島の陸軍の火薬庫が爆発したのだという上級生の説明がいちおうもっともらしく聞こえたが、ただごととは思えない、すぐにまた服を着て学校にもどった。ボートから振り向くと、雲一つない青空に白煙の太い柱が突きささるように立ち昇っていた。記録によれば、爆発5分後にその柱は1万7千メートルに達したそうだ。
10時すぎに学校の二階の窓から見ると、その煙の柱が崩れて茸型になってきていた。その下にあんな凄惨な情景が展開されているとは夢にも思わなかったが、あのときの光景が眼に焼きついている。

Q2.  忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. なにしろ凄絶な映像だった。

Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. 敗戦直後に『ドン・キホーテ』という戦前の映画を見た覚えがある。その幕切れに主役のシャリアピンが唄った「さらばサンチョ」の歌と映像をなんとかもう一度見てみたい。

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