毎回総合テーマを変えて開催される恵比寿映像祭の本年度のテーマは、「トゥルー・カラーズ」である。現代社会の社会的諸相を示す映像メディアの特質への注目から発案されたというこのテーマにおいて、「色」はおそらく二重の意味を担わされている。ひとつはもちろんデイヴィッド・ホックニーらの出品作で展開されているような、映像表現それ自体のなかで展開される「色彩」のことであり、もうひとつは、グローバリズムの波に圧倒されつつあるさまざまな場所の文化的固有性・多様性のメタファーとしての「色」のことだ。すなわち、映像祭のテーマとなる「カラーズ」とは、隠喩的に「固有性」や「地方色」を含意する「色=特色」のことであると同時に、映像が写し出す「色彩」そのものを意味するものであるということである。したがって、今回の企画において映像表現に託されているものは、このような地方色=ローカル・カラーを保存・記録し、あるいは表象のレベルにおいて世界の多様性を写し出す映像それ自体の社会学的な「記録媒体」としての機能と、それを視覚的=表象的なレベルにおいて説得力あるものとして出力する映像の「表現媒体」としての機能の二つの力学ではないだろうか。
 言い換えれば、この度の恵比寿映像祭において密かに表明されているのは、グローバリズムに対する政治的態度のみならず、記録媒体としての映像と、表現媒体としての映像との間に横たわる亀裂をいかに可視化するか、という課題であるように思われる。じっさいに、個々の出品作を観察すれば、この問題は、複数の作品においてさまざまに変奏されていることがわかるだろう。

第6回恵比寿映像祭フェスティバル会場より フェスティバル会場より<br />デイヴィッド・ホックニー《ジャグラーズ、2012年6月24日》2012年/18デジタル・ヴィデオ(同期させた18台のNEC46インチモニターに映写、サウンド、カラー)/全体サイズ1828.8×6350 mm/22 分13秒 写真:新井孝明

第6回恵比寿映像祭 フェスティバル会場より
デイヴィッド・ホックニー《ジャグラーズ、2012年6月24日》2012年/18デジタル・ヴィデオ(同期させた18台のNEC46インチモニターに映写、サウンド、カラー)/全体サイズ1828.8×6350 mm/22 分13秒
写真:新井孝明
Photo Courtesy of Tokyo Metropolitan Museum of Photography

アンリ・サラ《ギヴ・ミー・ザ・カラーズ》2003年/ヴィデオ・プロジェクション(ディスクリート 2.0サウンド、カラー)/15分25秒/作家蔵

アンリ・サラ《ギヴ・ミー・ザ・カラーズ》
2003年/ヴィデオ・プロジェクション(ディスクリート 2.0サウンド、カラー)/15分25秒/作家蔵

 たとえば、アンリ・サラの《ギブ・ミー・ザ・カラーズ》(2003)は、記録媒体としての映像と表現媒体としての映像との二つの表象のレベルの差異を「色」という主題を通じて扱ったものとみなすことができる。サラは、この作品において文字通り「色」を被写体としている。この映像には、サラの故郷であるアルバニア共和国の首都ティラナの市長であり、サラの友人でもあるエディ・ラマが登場する。この市長は、荒廃した市の景観を活気あるものとするために、都市部の建物の外壁をさまざまな色で塗装するという政策を実施した。サラは、じっさいにさまざまな原色の塗料でペイントされた都市の光景をカメラに収めていく。ここで、色は文字通り、都市の外壁に視覚的な効果をもたらすものとなる。一方で、映像のなかで市長は、複数の色が都市社会に侵入することによって、人々のあいだに調和や協力、主体的な社会参加などの効力がもたらされるはずだと力説する。色彩は、この市長の政策において、色そのものであると同時に、メタフォリカルなメッセージを備えたものになるということだ。色は表層的な装飾ではなく、都市社会の「器官」なのだ、と市長が力強く語るのは、このような実際的な効力、すなわち色のメタフォリカルかつ現実的な機能を彼が信じているからにほかならない。その映像において私たちは、戦後のヨーロッパ経済から脱落したアルバニアの社会的現実のドキュメントを、色を通して目撃することになるのであり、この場合色彩とは、その映像表現の視覚的な演出としてなされたものであったわけではない。
 しかし、映像の冒頭でサラの友人であるアーティストのリアム・ギリックの発言が差し挟まれることで、事態はより一層複雑な様相を呈すことになるだろう。ギリックはサラに向かってこう述べたという。「アンリ、本当のことを言え。この街も市長もぜんぶ作り話なんだろ?」。ギリックが言うようにもしこの映像がフィクションであるとすれば、サラのこの映像における色は、まさに60年代のヌーヴェルヴァーグのフィルムやポップ・アートなどを彷佛させる表象のレベル、すなわちカラフルな色彩がもたらす平面的効果を前景化することになる。色は、映像の芸術性に奉仕する視覚的効果となり、市長の発言や存在は、映像の表象を後ろ側から支えるプロットへと後退することになるからである。つまり、サラのこの作品において、色は、社会学的なリサーチの結果としてアルバニアのローカルな現実性を示すものであると同時に、視覚的、造形的レベルから、作品の芸術性を補完するという二重性を示すものになるということだ。この映像を見る者は、色が写し出す複数の階層のあいだで自らが安住しうるいかなる場所も見い出すことができない。言い換えれば、サラがこの映像で問題としているのは、記録の芸術性と芸術の記録性という、映像が置かれた二つの位相の相互還流的な状況である。この二重の位相から、映像の現代的な状況が照射されるのだ。

第6回恵比寿映像祭フェスティバル会場より 第6回恵比寿映像祭 フェスティバル会場より 下道基行《torii》2006–2012年/発色現像方式印画 写真:新井孝明 Photo Courtesy of Tokyo Metropolitan Museum of Photography

第6回恵比寿映像祭フェスティバル会場より
下道基行《torii》2006–2012年/発色現像方式印画
写真:新井孝明
Photo Courtesy of Tokyo Metropolitan Museum of Photography

 ところで本展のカタログでも触れられているように、「トゥルー・カラーズ」には、文化人類学的なアプローチや、複数の場所を漂泊するアーティストの作品が多く取り上げられている。しかしそれは、たんにポスト・コロニアリズムや多文化主義などのポスト・モダン的知的実践のみによってだけ捉えられるべきではなく、以上の論旨に照らせば、もとより90年代以降の美術動向において顕著になった文化人類学的、民族誌学的なアプローチそれ自体が、そもそも映像の根源的な二重性に抵触するものであったということに注意する必要があるのではないだろうか。
 たとえば、本展の参加作家である下道基行の作品もまた、各地の歴史的遺構のリサーチによって、社会的であると同時に美学的な映像の二重性を実践するものである。2006年から開始された写真シリーズ《torii》は、台湾、韓国、中国、ロシアなどの日本の領土外の鳥居をフィールド・ワークし、鳥居とその周囲の風景を被写体として写真に収めたものだ。彼の作品は、鳥居というナショナル・アイデンティティを象徴する建造物が、実は国境の外側に遍在するという転倒を示すものであり、このことが、その映像に、純粋な記録性のみならず、フィクショナルな幻影としてのすがたを与えることになる。その意味で下道の作品は、記録のなかに非-記録性を差し挟むものである。
 本展の出品作ではないが、彼はまた、震災以後、道端の用水路や田んぼのあぜ道に架けられた「橋のようなもの」に注目し、日本各地を巡りそれらを撮影するプロジェクトを行なっている。鳥居のあと、彼が橋を撮影したことには明らかな連続性が認められなければならない。鳥居が複数の場所・空間の結界となるものであるのと同様に、橋とは、二つの隔たった場をつなぐものであるからである。たとえば保田與重郎の「日本の橋」(1936)というテキストの出現によって、橋は、鳥居と同じような国家的指標を担うものとなった。保田は、わびしい日本の橋は文学的な哀切の感情を表現すると書いた。つまり、日本浪曼派(保田)にとって、橋とは、ロマン主義的・美学的対象であったということである。下道の《torii》とは、日本とその外側の国家とを、鳥居というひとつの指標によって架橋する。そのため橋、あるいは鳥居とは、複数の国家・地域間を移動する下道自身の存在論的位相と無関係ではない。この構造物がもつ機能は、下道自身の作家としての活動そのものとも併行するのである。その根底にあるのは、文化人類学的なリサーチャーとしてのアーティストの立場とともに存在する、アーティスト自身の美学的な位相にほかならない。下道は、鳥居や橋と同様の「媒介」を自らの身体的な移動によって実践し、そしてその活動において、歴史的・社会的記録と美学的表象としての映像の二つの位相もまた、媒介されることになるからである。
 このように考えれば、下道と同世代の作家である田村友一郎の《わたしがいるならば 〜ケイティ・キング〜》(2012)もまた、同様の傾向を示すものであったことがわかるだろう。田村は、瀬戸内海の粟島の主要産業であった「鬼瓦」と、ラジオメーターの発明者であるとともに心霊現象研究家でもあったウイリアム・クルックスが彼の心霊写真に現像した女性の幽霊ケイティ・キングとのつながりを、粟島とイギリスをリサーチすることによって見い出していく。結果として、田村は粟島の職人にケイティ・キングの顔を塑像した鬼瓦の制作を依頼した。映像とともに展示されたのは、この、鬼と心霊の混成体としての鬼瓦である。たしかに、鬼も心霊も、目には見えないが確かに存在すると感じられる超常的な存在であり、心霊とはもとよりメディウム(霊媒=媒介)である。田村がここで、心霊や鬼などの霊媒の媒介性と、見えないものを伝達するラジオメーターの機能を重ね合わせ、粟島とイギリスの二つの地域が、この二つの媒介を通じて邂逅するという図式を描いていることは明らかである。しかしながら、鬼瓦とケイティ・キングとのつながりは、粟島でたまたま目にしたラジオメーターという機器を通じて田村に与えられた直感に過ぎない。したがって、そのようなつながりは、田村自身が霊媒=媒介としての主体性を自ら演じることによってのみ可能となるものだろう。下道の作品と同じく、ここでは、民俗学的あるいは比較文化的な複数の文化への横断的視点が、作品そのものの主題と重ね合わされている。田村が行なう民俗学的考察とはすなわち霊媒的な仕事であり、それは彼自身のアーティストとしてのふるまいへと再帰的に代入される。真のメディウムとは、複数の地域を往還し、そこに擬似的なつながりを見い出していくアーティスト自身にほかならない(*1)。

川瀬慈《タトゥー ゴンダール》2013年/ヴィデオ(HD、ステレオサウンド、カラー)/作家蔵

川瀬慈《タトゥー ゴンダール》
2013年/ヴィデオ(HD、ステレオサウンド、カラー)/作家蔵

 加えて本展は、文化人類学的・民族誌学的考察をアーティストの立場から行なう作家たちだけではなく、まさに文化人類学者が映像作品を「出品」していることに特徴がある。分藤大翼と川瀬慈という二人の文化人類学者(映像人類学者)が、本展に参加しているからだ。しかしながら、映画的なクローズアップを多用し、カラーとモノクロを次々に切り替える川瀬の映像や、壊れたカセットテープを男が直す様子を近くから映し、最後にラジカセから音楽が流れる場面を引きで撮る――つまりは映像のシークエンスにおいて微細な演出やクライマックスが存在する――分藤の映像には、学術的な記録性と同時に、美学的な配慮が感じられる。そもそも、学術的な記録を美術館で映写するというふるまい自体が、映像の記録性と記録の映像性という、本稿で繰り返し述べてきた二重性を帯びているのである。映像人類学者として美術館のなかで資料/作品の展示を行なうという事態はすでに錯誤的であり、そのとき映像制作者は、美学的水準と学術的水準の二つのディシプリンに引き裂かれる。彼らの映像とその主体性が負うことになるのは、この二重拘束である(*2)。文化人類学的資料を美学化していると非難されかねないこのような傾向の政治性については、あらためて検討されなければならないだろう。だがもちろん、翻って言えば私たち自身が、この二重拘束から無関係であったわけではない。これらの映像を観る私たちもまた、鑑賞者と観察者の二つの位相において多重に拘束されることになるからである。
 諸々の映像は、このようなダブルバインド的状況において映像を享受することの意味を改めて突きつけている。本展の意義は、これら映像の複数の条件を構造的に読解可能なものにし、映像表現がはらむ複数の階層の峻別を図ることに賭けられることになるだろう。リサーチ型あるいは文化人類学的な映像は、このような条件下における、映像が本来的にもつ政治的・社会的諸相と美学的諸相との複雑な交配を示唆するものであるからだ。そればかりではなく、科学や政治などの複数の領域が、無防備な美学化・審美化を遂げているようにみえる今日の状況において、これらの諸作品が備えたメディアとしての映像の複数性が、肯定するにせよ否定するにせよ、きわめて現代的な問題を孕んでいるのは確かである。あらゆる分野からの芸術への絶え間ないあこがれが備給されるこのような時代においてこそ、芸術と映像の批評的考察は、全面的に展開されなければならない。


[*1]下道や田村の作品にみられる主体の遍在性については、彼らが参加した「MOT アニュアル 2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展(東京都現代美術館)のレビューでも触れた。「主体の編集」『美術手帖』1月号、228-229頁。

[*2]批評家のハル・フォスターは、90年代以降の美術の文化人類学的なアプローチを分析した「民族誌学者としてのアーティスト」で、このような傾向においては、アーティストと研究者の立場の接近が見られると述べている。Cf. Hal Foster, “The Artist as Ethnographer”, The Return of the Real, The MIT Press, 1996, pp.172-204.