一言でアニメーションといってもさまざまなものがあるが、表現の上で実験的な試みをしたアニメーションは実験アニメーションと呼ばれている。この種のアニメーションを考えるため、1960年に久里洋二、真鍋博、柳原良平が結成した「アニメーション3人の会」に注目してみたい。
「3人の会」は、戦後の日本における自主制作アニメーションの草分けである。このグループが果たした役割として次の二点をあげることができる。ひとつは、アニメーションという言葉を広めるきっかけをつくったこと、もうひとつは実験的なアニメーションの存在を世に知らしめたことである。
今日、アニメーションという言葉は誰でも知っている。しかし1960年頃の日本では、この言葉が一般に知られていなかった。「3人の会」は積極的にアニメーションという言葉を使ったが、取材の相手から「アニメーションとは何ですか」とよく聞かれた。当時は説明してもなかなか理解してもらえなかったという。
それまでアニメーションを指す名称として漫画映画が知られていた。他にも、人形によるアニメーションの人形映画、影絵によるアニメーションの影絵映画という名称があった。こうした名称は戦前から使われていて、それが戦後に引き継がれていた。

ここで、アニメーションとはなにかということを改めて確認しておきたい。アニメーションとは、コマ単位で制作さていることを意味する。それは、静止しているものを動いているように見せるトリックの技術である。今日ではこうした定義も常識的なものになっているが、かつてはそうではなかった。
「3人の会」は、アニメーションを説明してもなかなか理解されなかった。なぜだろうか。それは、アニメーションという名称が従来の漫画映画と異なる発想を要求したからである。アニメーションという言葉を受け入れるためには、アニメーションの概念を理解すること、いいかえるとアニメーションが成立している前提を理解することが必要であった。アニメーションが成立している前提とは、それがコマ単位で制作されていることである。
以前から存在した漫画映画や人形映画という言い方は、コマ撮りで制作されているかどうかを基準にした名称ではなかった。漫画映画が意味していたのは、スクリーンに映し出されているのがマンガだという事実だけである。人形映画の場合も同様で、スクリーンに見えているのが人形であるから人形映画なのである。こうした名称に共通するのは、観客が見ているものと名称が一致していることである。
しかし、アニメーションという名称はそうではないのだ。アニメーションとそうでないものを区別するのは、コマ撮りで制作されているかどうかである。このとき重視されているのは制作のプロセスである。つまり、観客がスクリーンに見ているものだけではなく、どのようにつくられているかが問題になっている。当時の人がアニメーションをすぐに理解しなかったのは、単に見た印象ではなく、制作のプロセスまで考えなければならなかったからであった。
「3人の会」は、実験的なアニメーションの存在を世に知らしめるという役割も果たしている。彼らの作品がすべて実験的であったわけではないが、久里と真鍋は新しい表現に意欲的で取り組んでいた。
久里はさまざまなアニメーションの技法に挑戦した。たとえば『ファッション』(1960)は、コラージュ・アニメーションとシネカリグラフを組み合わせた作品である。彼は最初期からこうした作品を制作していた。一方、真鍋は、アニメーションの概念を拡張しようとした。彼は、あえてコマ撮りを行わない作品、アニメーションを街のなかにもちこむ作品などを制作することで、従来のコマ撮りの概念を超えようとした。

それ以前にも実験的なアニメーションが知られていなかったわけではない。たとえば、早くも1930年代にはオスカー・フィッシンガーの抽象アニメーションが公開されている。しかし、当時この作品はアニメーションとみなされなかった。そもそもアニメーションという言葉がなかったし、一般の漫画映画とあまりにも懸け離れていたので、まったく別種の作品と理解された。こうした事情は、1956年にノーマン・マクラレンのシネカリグラフの作品『線と色の即興詩』が公開されたときにもさほど変わっていない。当初は、マクラレンの作品ですらアニメーションの文脈で語られることはなかった。
実験的な作品もアニメーションとして認めるようになったのは「3人の会」以降のことである。このことは、「3人の会」がアニメーションという言葉を広めたことと関係している。アニメーションという言葉が普及することは、それがどのように制作されているかを了解できるようになったということである。たとえ抽象的な作品であっても、コマ撮りで制作されている以上アニメーションと見なすという発想は、アニメーションの概念が理解されてはじめて可能になることであった。
今日、アニメーションは自明なものとして受け入れられている。それは誰でも知っている言葉であり、ごく当たり前に存在しているように考えられている。しかし歴史を振り返ってみると、アニメーションであることは少しも自明でなかったことがわかる。アニメーションの意味するものは可変的であって、決して固定されたものではない。アニメーションの捉え方は時代とともに変化している。いわばそれ自体も動いているのである。

当然今日においてもアニメーションの捉え方は変化の過程にある。むしろ現在は、アニメーションの概念が大きく揺らいでいる時期といえよう。そこには、映像テクノロジーの発達が大きく影響している。
コンピュータの普及と発達は、アニメーションをつくることを容易にした。誰でも簡単に制作できるようになっただけでなく、あらゆるところにアニメーションが使われるようになった。かつてアニメーションは映画館という非日常的な場所にしか存在しなかったが、今では日常の隅々にまで浸透している。一方、コンピュータグラフィックス(CG)は、アニメーションの概念に変化を及ぼしている。3DCGの技術が高度化し、そのリアルさは実写と区別がつかないほどになっている。今日の3DCGは、アニメーションと実写の境界を曖昧なものにしている。
このような状況のなかで実験的なアニメーションはどのような意味をもつであろうか。実験アニメーションは、アニメーションの原理的な側面を強調する傾向が強く、新しい技法にアプローチしたり、アニメーションのあり方に新たな展開を求めたりする。こうした作品には、アニメーションであることに対する反省的な意識を認めることができる。
近年評価の高いBLUは、野外でアニメーションを展開する作家である。彼は、建物の壁や道路などに、描いては消し描いては消すという作業を繰り返すことによって絵を動かしていく。この作品では、動きがつくられていくプロセスがそのまま作品化されている。観客は、彼の描くイメージだけでなく、アニメーションが生まれる過程自体を見ているのである。
アニメーションの概念が拡散していく状況のなかで、実験アニメーションの多くは、むしろアニメーションであることの原点に回帰しているように思える。そうした作品は、アニメーションとはなにかという本質的な問題を考えるきっかけとなると同時に、静止しているものが動きだすというアニメーションの本来的な驚きに改めて気づかせてくれる。

*第3回恵比寿映像祭 「デイドリーム ビリーバー!!」では、 〈実験とアニメーション〜カキメーションと実写の交差点〉と題した上映プログラムを実施。本稿で言及される久里洋二の《ファッション》(1960)、BLUの《Big bang big boom》(2010)も上映される。