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能登勝

NOTO Masaru

1957年、岡山生まれ、映画作家、岡山在住。1975年、映画監督を志し上京、多摩芸術学園映画科に入学、映画監督の志しを個人映画作家に修正、これは現在も変らず。1978年、多摩芸術学園卒業、個人映画制作を中心にした社会生活を始める。1988年、家庭の都合で帰岡。1993年、「地下映画上映1」(岡山・しろちか広場でアンダーグラウンド映画上映)。1994年休耕田を借り畑を始める、勿論趣味。「地下映画上映2,3,」。1997年家庭の都合で結婚。個人映画制作を中心にした家庭・社会生活が続いている。

上映

表現としての自家現像フィルム 能登勝特集

都市に住まず、徒党を組まず、誰にも頼らず、たった一人で、フィルムで、撮影、現像、プリント、それらの全てを自力でやって、映画を作る男が居る。岡山の、孤高の映画作家、能登勝だ。奥山順市、末岡一郎、と共に日本の自家現像のパイオニアだ。自家現像は、実験映画の世界で、今や、さほど珍しいものではない。それは、8ミリフィルムの現像が、かつて程便利ではなくなったのも理由の一つだ。世界中で8ミリの現像所が閉鎖され、作業の間隔が長くなり、現像料金が値上がりした。これら後ろ向きの理由が皮肉にも自家現像を後押ししたのだ。しかし、能登勝の“自家現像”は、後ろ向きの理由によるのではない。画面を見れば、一目瞭然だが、機械作業の現像所ではとても出来ない高度な手仕事がちりばめられているのだ。フィルムの上に虫を歩かせてフォトグラムで“撮影”したのは現像ではないが(《下弦の月》)、定着液の霧を現像処理前に吹き付けたり(《In a Shrine》)と自由奔放だ。プリントもカメラにフィルムを2本重ねて装填して行なっているそうだが、画質は専用のプリンターより高い位だ。元々19世紀に誕生した映画術は機械的な合理化よりも、質を高めるには手仕事の業を磨いた方が有効なのかも知れない。映画は、複製技術だが、大量のプリントを取らないのなら、表現の質の為にいくらでも手間がかけられるのだ。能登勝の自家現像映画を見れば、それが、どういうことか理解出来るだろう。

ジャンル

上映

場所

1F

作品図版/画像
能登勝《無題8》
1988(1999)年/16mm、白黒/9分10秒/日本
作品図版/画像
能登勝《水からの展開》
1993年/16mm、カラー/10分15秒/日本
作品図版/画像
能登勝《光・しずく》
1998/16mm、カラー/11分8秒/日本
上映日時

2009年02月23日(月) 19:00~

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