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奥山順市

OKUYAMA Jun'ichi

1947年東京生まれ、実験映画作家、千葉県在住。1969年玉川大学芸術学科卒業。 1971年「発声活動大写真」安田生命ホールから、2008年ぷりぷりの直感4 SUPER DULUXE まで、様々な映画祭や、グループ上映に参加。1971年、シカゴ国際映画祭で《No perforations》がシルバー・ヒューゴー賞受賞。1994年、シカゴ国際映画祭で《浸透画》が奨励賞受賞。1997年、「イメージフォーラム・フェスティバル 1997」の審査員を、ペーター・クーベルカ、中島崇と共に務める。イメージフォーラム付属映像研究所専任講師。 http://www.ne.jp/asahi/okuyama/junichi/

上映

日仏の最新手作り映画傑作選

“手作り”の映画は、映画というメディアを使って個人が発信する時に、映画産業とは異なった新たな地平を切り開く。映画は莫大な資本を投入して、集団的、組織的に製作され、世界中で公開される巨大な産業であると同時に、個人が極私的に制作し、発表、公開することも出来るメディアだ。極私的に制作された超低予算の映画でも、世界の多くの映画祭では大予算映画と一緒に上映されている。映画はフィルムという“支持体”と共に、つい最近まで歩んで来た。しかし、映画、映像産業の合理主義、効率主義は、この“支持体”に“時代遅れ”の烙印を押して、映画史の教科書の中だけに閉じ込めようとしている。しかし、フィルムは今も現役のメディアだし、他のディジタルのメディアには置き換えられない質的な違いがある。フィルムで映画を作るのに、何の禁忌も、条件も免許制度も存在しない。しかし、映画産業の現像所等では、同じ仕上がりに揃えることが至上命令だ。奥山順市は《まぜるな》で、“現像液と定着液を直接フィルムにペイント”した。自宅でやった理由は、現像所ではこのような高度な実験を引き受けてくれないからだろう。絵が写っているフィルムを切ったり貼ったりして作品にしている作家達が居る。伊藤隆介の《A Flat , Split Reel》では、ファウンド・フッテージのフィルム片がモザイクのように物理的に切り貼りされて、それが版画のようにプリントされ映画になった。フレデリック・デヴォーの実験的ドキュメンタリー映画でも、フィルムの上に細かく切られたフィルムが貼付けられている。セシル・フォンテーヌはもっとマニアックに、フィルムの、絵のある乳剤面だけをプリントから薬品を使って剥がして、別のプリントの上に貼付ける。大島慶太郎は、現像所から戻って来た時にフィルムに付いているかもしれない事故の報告書に注目した。事故とは現像所が決めた規範からの逸脱のことで、必ずしも危険なものではない。ピップ・チョドロフ、太田曜、どちらも、映画が作り出す動きが“現実の動き”とは異なっていることを映画を通して表現しようとする。8ミリで撮影したの元のフィルムを自家現像し、16ミリフィルムへJ.K.オプチカル・プリンターでブローアップしたり(太田)、16ミリで撮影したものにマスクを掛けてJ.K.で再撮影(ピップ・チョドロフ)することは、現像所でもやってもらえないことはないだろうが、きっと莫大な金額と時間を要求されるだろう。そもそも、こうした小口の特殊作業には向かないような仕組みになっているからだ。たとえば、末岡一郎のような、古いフィルムを再発見する仕事でも、もし現像所へ頼めば、やれないことはないだろう。しかし、古いぼろぼろになったフィルムは、現像所ではそのままプリンターには通せない。すぐに警報が鳴って止まるか、フィルムが切れるか、だろう。膨大な修復をしなければとても日の目を見ることはない。しかし、手作業の末岡式ダイレクト・プリントで、かつて作られた多くの無名の映画達が甦ったのだった。 このプログラムでは、“手作り”された映画を概観し、その可能性に触れてもらいたい。映画が、フィルムで作っても個人の表現にとって、決して手の届かないものではないことを。そして、その表現のレヴェルは出来上がりの均一さのみで見るべきではないことを。

ジャンル

上映

場所

1F

作品図版/画像
奥山順市《まぜるな》
2008/16mm、モノクローム、サウンド/5分/日本
作品図版/画像
末岡一郎《Portland, Oregon 1931》
2008/16mm、モノクロ、サウンド/10分/日本
作品図版/画像
セシル・フォンテーヌ《CROSS WORLDS》
2006年/16mm、カラー、サウンド/15分/フランス
協力:ライト・コーン
上映日時

2009年02月22日(日) 11:00~

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